サウナと野球と時々カメラ

意識の低い政治学徒だった人の日記。週末サウナー。

中原淳・パーソル総合研究所(2018)『残業学:明日からどう働くか、どう働いてもらうのか』光文社新書

 極力、残業はしたくない。所定労働時間に休憩時間を加えても、毎日職場にいるだけで9時間である。更に、通勤でも往復1.5時間ぐらいにはなる。朝スーツに着替えたり、帰宅後の着替えなんかも考慮すれば、仕事の関係で毎日12時間ぐらいは失われていると言って過言ではないだろう。それに加え、以前は月に40〜60時間の残業は常だった。月40時間としても日に2時間。月60時間となれば日に3時間である。毎日14〜15時間は仕事で失われている上に、一人暮らしでも最低限の家事はやらなければならないので、余暇なんてあったものではない*1

 そんな働き方に対し、筆者自身もどうすれば残業が減るのか*2、ということを考えていたので、書店で本書を見つけた時には、迷わずレジに並んでいた。

 さて、残業学とは何だろうか。本書は、残業学を「日本企業にはびこっている「長時間労働」をめぐる、様々な学問を横断した学際的な研究領域 」(p.3)であると定義する。これまで、残業や長時間労働に関する先行研究は、経済学をはじめとするいくつかの学問領域で独立して取り扱われてきた。これに対し、本書は著者らが独自に実施した大規模サーベイのデータを分析することで、学問横断的に「長時間労働」へと接近していく。その際、

  1. 残業がどこでどのくらい起こっているか(Whatの探求)
  2. 残業が起こってしまうメカニズムと功罪(Whyの探求)
  3. 残業をいかに改善することができるのか(Howの探求)

の3点に注目していくという(p.7)。

オリエンテーション ようこそ!「残業学」講義へ

 オリエンテーションでは、本書の前提として、①そもそもなぜ長時間労働を是正する必要があるのか、②残業を放置することによって起こりうるリスクにはどのようなものがあるのか、③企業にとって残業を削減することによって得られるメリットは何か、を整理している。

なぜ長時間労働を減らす必要があるのか

 本書で最初に論じられるのは、なぜ最近になって「働き方改革」が叫ばれているのか、という点である。これに対し本書では、超高齢社会に突入して労働人口が減っている中で、多様な人材を労働力として見出す必要性を挙げている。すなわち、男性が長時間労働で家計を支えていた従来の男性稼得者モデルだけでは労働力が不足するものの、このような働き方が前提となると共働き夫婦や外国人、高齢者らが労働に参加することができず、労働力不足が解消されないことを理由としている。

長時間労働がもたらす個人のリスク

 残業の抑制が求められる理由は、それだけではない。長時間働き続けることで心身の健康を損なうことで、中長期的に見た時に働ける人を減らしてしまう健康リスクや、日々の長時間労働で疲弊してしまうことで、個々の労働者がスキルアップや自己研鑽に励む余裕を奪ってしまう学びのリスクも抱えているのである。

企業が長時間労働を削減するべき理由

 企業の側から見ても、長時間労働や過度な残業を放置することにはリスクがある。1つは、ワークライフバランスを重視する若者や長時間労働を嫌う外国人に敬遠されてしまうこと。人手不足が進んでいる状況で、貴重な人材が離れていってしまうことは、安定操業を目指す企業にとって大きなリスクになりうる。2点目は、採用できた人材が長時間労働を嫌って離職してしまうリスクである。多大な費用を払ってなんとか採用した戦力が短期間で離職してしまうことは、費用的な面から見ても問題がある。この他にも、余暇が少ないと高いアンテナを立てられる従業員も減ることからイノベーションが起こりにくくなってしまうことなども指摘している。

本書の目指すところ

 とはいえ、実際に企業内で打ち出されている残業抑制の方策も、ピントのずれたものが多かったりする。これに対し、実証的なデータを用いて効果的な長時間労働抑制策を検討するために、どのような要因が長時間労働をもたらしているのか(長時間労働をもたらす独立変数)、また長時間労働が原因でどのような事象が引き起こされているか(長時間労働がもたらす従属変数)、についても考察することで、残業を減らした結果どのような未来があるのかを明らかにするのが、本書の目指すところであるといえる。

第1講 残業のメリットを貪りつくした日本社会

 第1講では、日本企業で残業が発生した理由を、残業を発生させうる制度的要因と、残業が持つメリットという2点から整理している。

残業が発生しうる制度的要因

 本書を読む人の多くが持つ疑問が、「なぜ日本企業で残業が習慣化したのか」という点だろう。この問いに対して制度的な面から提示される説明が、三六協定である*3労働基準法の原則としては週40時間以上の労働は禁止なのだが、これに対する例外として労働組合と経営者が合意して締結される三六協定で労働時間の上限を例外的に外すことができるのである*4
 また、日本企業において労働契約を取り交わす際に、自らの職務範囲を明文化した職務記述書が取り交わされることは少なく、どこからどこまでが自分の仕事なのかが明確になりにくい。このため、他のメンバーの仕事が終わっていないと帰りにくい、もしくは手伝わざるを得ない、といった風潮が発生しやすいという。

労働力調整弁としての残業

 以上のように、残業を発生させうる制度的要因があったとしても、制度の存在だけで残業を帰結するとは言えない。残業文化が根付いた背景には、残業で得られるメリットがあるからである。そのメリットとは、労働力調整弁としての機能である。
 日本の雇用慣行の特徴として挙げられるのが、内部労働市場である。これは、企業が新たな労働力を必要とした時に、会社の「外部」から新規採用してくるのではなく、会社の「内部」で配置転換や異動を行うことで調達してくる慣行を指す。労働力が過剰になってきた時にも、従業員を解雇して「外部」に労働力を出すのではなく、やはり需要のある「内部」の他部署へ人を移すことで対応することになる。この帰結として、全社的に業務が閑散期にあっても保有しないといけない人数を確保しておき、繁忙期になれば残業して労働時間を増やすことによって、内部労働市場の中で必要な労働力を調整していたのである。

第2講 あなたの業界の「残業の実態」が見えてくる

 第2講では、前講で挙げた要因によって残業が常態化している業界や業種を明らかにしていく。

残業が多い業種とは

 今回の調査で明らかになった知見として、残業が多い業界としては、①運輸業・郵便業が平均31.96時間/月、②建設業が月25.47時間/月、③情報通信業が25.27時間/月ということであった*5。とはいえ、どの会社にも残業を全くしない人というのは一定数いるようで、これらを除くといずれの業界でも平均的に数時間残業時間が伸びるという。さらに業界によっては、上司の残業時間が部下の1.5倍にも上るような業界もあり、昇進するにつれて過酷な残業が待ち受けているように読める。
 このほかに、教育・学習支援業や不動産業、宿泊・飲食サービス業においては、残業時間に占めるサービス残業の割合が高いという。教員が対価なく部活の指導に時間を取られ、プライベートを犠牲にせざるを得ないような話はかなり広まってきていると思われるが、サービス残業は必ずしも教員だけが悩まされているものではないようである*6
 大きくまとめると、「突発的な業務が頻繁に発生する」「仕事の相互依存性(自分の仕事が終わらないと他の人も終わらない性質)が高い」「社外関係者・顧客とのやり取りが多い」など、人との関わりが多い職種に残業が生まれやすいのである。

第3講 残業麻痺-ー残業に「幸福」を感じる人たち

 とはいいつつ、実際に残業をバリバリこなしている人を見ると、必ずしも全員が死にそうな顔をしているわけではない。日に3〜4時間もの残業をこなし、1日の2/3程度(あるいはそれ以上)を仕事と通勤に奪われているにもかかわらず、である。なぜなのか。

残業に麻痺した状態とは

 本書の元になったリサーチの中で、幸福かどうかを聞いている設問があるそうだ。全体的な傾向としては、残業時間が伸びるにつれて幸福感は低下する傾向にある。ところが、月の残業時間が45〜60時間の層を底に、残業時間が伸びると幸福感が上昇傾向に持ち直す、2次関数的な傾向を示すのである。さらに興味深いのは、労働時間が伸びれば感じるストレスも強くなっているというデータである。「負荷を自覚しているにもかかわらず、幸せを感じている人がいる」(p.110)という不思議な状態にあるといえる。

なぜ残業麻痺が起こるのか

 著者は、超・長時間労働を行っている人の心理について考察を進める。そこでは、「超・長時間労働にさらされていても幸福感を感じている人は、「仕事が自分の思う通りになっている」という自信の感覚があり、「仕事にグッと集中し、完全にのめり込んでいる」という没入状態に近い」と分析している(p.119)。自分で仕事をコントロールできることで、「ゾーン」に入ったとでも言いうるような状態にあると言えるのである*7。仕事に打ち込むことでフローに近い幸福感を得られていること自体は悪くないが、それが超・長時間労働から得られているのだとすれば、自らの健康リスクと引き換えに幸福感を得ていることは認識する必要があるだろう。
 ただしこれらの超・長時間労働は、終身雇用の安心感や将来的な出世見込みなど、現職での長時間労働が評価されて将来を肯定的に捉えることができるからこそ支えられている。しかし実際には、終身雇用や安定的な出世は必ずしも見込めない状況となっており、報われない超・長時間労働となっている可能性さえあるのである。

残業によって阻害される成長

 残業肯定論の中に、「長時間働くことで得られる経験がある」というものがある。確かに、1日2時間残業すれば、4日で8時間ぐらいの超勤となり、1週間あたり1日多く出勤しているぐらいの計算になるので、労働時間という面で見れば経験値は稼げる。しかし、成長は必ずしも労働時間に比例するものではないはずだ。
 成長するにあたっては自分の仕事の進め方を理解した上で、その進め方にどのような課題があって、それをどう克服するかを考える必要があるはずだ。もちろん、他者からのアドバイスやフィードバックは欠かせない。しかし、残業せざるを得ない状況というのは、基本的に所定労働時間内で日常業務が終わらないという状態であるはずだ。つまり、残業時間も含めて業務にかかることで手一杯な状態と言える。そのような労働環境にあって、自分の課題を的確に捉え、それを改善するための行動指針を立てることは難しいし、ましてや長時間労働にとらわれている上長が部下の課題に対する的確なフィードバックなど、到底できようもない。つまり、超・長時間労働は部署単位で効率的な成長を妨げているのである。
 職場外での個々人の学習機会を奪っているという点でも、残業がいかに罪深いかが理解できる。

第4講 残業は、「集中」し、「感染」し、「遺伝」する

 前講で長時間残業をしてしまう人が、どういった心理を持っているのかを確認したが、本講では「長時間残業はどうして起きるのか」に着目する(p.148)。その際のキーワードは、「集中」「感染」「遺伝」である。

残業は「集中」する

 「仕事のできる人にほど業務が集中する」というのは割とよく聞くフレーズなのではないだろうか。筆者の周りでも思い当たる節はいくつかある。仕事のできる人に業務が集中すれば、所定労働時間で終わらずに残業せざるを得なくなることも容易に想像がつくだろう。それでは、なぜ残業は「集中」するのだろうか。逆説的ではあるが、「集中」してしまう人は「仕事ができるから」というのが本書で掲げられている理由である。
 上司の立場に立ってみると、仕事ができる優秀な部下にほど仕事を任せたくなるので、まず仕事のできる部下に仕事が与えられる。仕事ができる部下は、生産性を高めて効率よく仕事をこなそうとする。こうして仕事ができる部下が生産性を高めた結果、余裕が出てくるので上司は新しい仕事を任せようとする*8。部下は新たな仕事についても業務の効率化を目指して試行錯誤を行う。そして余裕が出てくると上司には再度新しい仕事を任せるインセンティブが付与される。こうして「仕事のできる人にほど業務が集中する」という現象が固定化していくのである。
 とはいえ、昨今の「働き方改革」で部下の残業時間をどれだけ減らせたかをチェックされるようになると、部下を早く帰らせるために上司が仕事を抱え込んでしまうリスクもある。このような状況を避けるためには、管理職が部下全員を育成して部署全体の生産性を上げていく必要が出てくるが、プレイヤーとしてキャリアを積んできた人が突然マネージャーになっても管理のノウハウは持っていないので、すぐにはうまくマネージメントできないだろう。管理職に対するマネージメントスキルの蓄積をどのように行うかも一つの大きな課題になるはずだ。

残業は「感染」する

 本書では残業の「感染」についても論じている。残業が感染するとは、「職場内の無言のプレッシャーや同調圧力によって残業してしまう」ことを指している(p.158)。「周りがまだ働いている」「上司がまだ帰らないから自分も帰りにくい」といった雰囲気が職場に醸成していると、残業が空気感染して職場が全体的に残業体質になってしまうのだという。「空気の読み合い」というある意味日本人的な行動だが、本心としては早く帰りたいのに周りがまだ残っているから帰りにくい、という誰も幸せにならない環境が構築されてしまうのである。
 だが、職務の特性によって感染しやすさには多少差が出るという。「一人ひとりの仕事の範囲が明確で、自分のペースや方法で仕事を進められる」という職務特性がある場合には(p.169)、残業が「集中」「感染」しにくいのである。「役割と責任の明確化」が残業抑制のキーワードの一つになりそうである(p.169)。

残業は「遺伝」する

 残業の「集中」や「遺伝」については、職務範囲や職務特性が大きな影響を与えていることを論じてきたが、人的要因も残業時間に影響を与えている。若い頃からの長時間残業に慣れてしまった上司が「残業して当たり前」という価値観を部署の中に醸成してしまい、部下の長時間労働を引き起こしてしまうことを、本書では「残業の遺伝」としている。
 「残業の遺伝」が抱える困難の一つに、上司も長時間労働を続けてきた結果、第3講で論じられていたように仕事のやり方を振り返ることが阻害されているので、長時間労働の是非を省みる機会すらないことから、残業抑制に取り組む動機や方法に乏しいことが挙げられる。やはり、管理職が持つべきマネージメントスキルをいかに定義して教育するかが、残業時間抑制の重要なポイントであると考えられる。

第5講 「残業代」がゼロでも生活できますか?

 ここまで、残業の実態や残業を引き起こすメカニズムについて、他人や制度的な観点から分析を進めてきたが、本講では「自分」との関係から残業を検討していく。すなわち、収入として跳ね返ってくる金銭的なインセンティブとしての「残業代」を分析の焦点とする。

残業代は生活必需品?

 本講の最初に、「残業代を前提として家計を組み立てているか」「基本給だけでは生活が成り立たないかどうか」という2つのアンケート結果が示されている。前者については40.5%が、後者については60.8%がそうだと回答しており*9、「残業代のために残業する」人は少なくないのが見てとれる(p.183)。また、自由記述のアンケートの中でも、残業代を減らすことだけが働き方改革になってはならず、既存の給与体系も含めた再構築が必要だとの意見も見られる。

「職能給」と「職務給」

 そもそも、我々に支払われる給与はどのようにして決まっているのか。一般的に、支払う給与に対する考え方としては、その人が持っている職務遂行能力に対して支払う「職能給」と、担当する業務の内容に対して支払う「職務給」の2つに分けられる。このうち、日本では前者の「職能給」が採用されてきた。
 職能給は、前講までで見てきたような職務範囲が明確でない働き方と親和性が高い。自らの給与を構成している業務内容が明確でないことから、新たな仕事が増えたり減ったりしても給与には変化がないからである。これに対し、新しく増えた仕事に報いる給与として、増加した労働時間に応じて明快に支払われるのが「残業代」であり、職能給で対応できない業務の増減を補填する役割を残業代が担っていると言えるのである。働き方改革を行って残業時間の削減を行うのであれば、残業代に依存せずとも業務内容・量を明確反映して支払われる給与体系を構築することも、あわせて行う必要があるはずなのである。

第6講 働き方改革はなぜ「効かない」のか?

 前講までは、「なぜ残業が発生するのか」というWhyについての考察を進めてきたが、本講からは「どうすれば残業を減らせるか」というHowについての考察を進めていく。

対策を打っても効かない「働き方改革」?

 2017年以降、政府が「働き方改革」に取り組み始めてから、残業時間削減に向けた施策は様々な企業で実施されている。筆者の勤務先でも、月1回のノー残業デーという取り組みが行われている。それでもなお、約半数の人は施策の効果を感じていないそうだ。それはなぜなのか。著者によると、残業施策は、

  1. 残業のブラックボックス化、
  2. 組織コンディションの悪化、
  3. 施策の形骸化、

という3段階を経ることで失敗してしまうという(p.212)。

残業のブラックボックス

 最初の段階として訪れるのが、残業のブラックボックス化である。これは、書類上の残業時間が減っていても、申請せずに行う隠れ残業や休憩時間中の業務遂行などにより、実際の労働時間を会社が把握できなくなってしまう状態のことを言う。業務の総量が変わらないままブラックボックス化が進行してしまうと、表面的には改革が成果を挙げているように見えてしまう一方、従業員にとっては従来もらえていた残業代すら減ってしまう上に働き方は何も変わっていない(場合によっては悪化してしまう)という逆説的な結果をもたらしてしまう。
 これと同時に、残業時間削減による人件費の低減を目指している場合、上司への仕事の集中が発生しかねない。一般社員には残業代を支払う必要があるが、管理職には残業代を支払う必要がないため*10、一般社員の業務を減らして管理職に上乗せするインセンティブが発生してしまうのである。
 この結果、管理職のモチベーション低下や、実態とかけ離れた労働時間など、組織的にリスクを抱えることになりかねない。

組織コンディションの悪化

 業務量が変わらないまま表面的な「働き方改革」が進められた結果、残業のブラックボックス化が進み、表面的な数値は減っているものの実態は変わらない(もしくは悪化する)というメカニズムは前項で示した通りだ。これが、数字だけひとり歩きして「成果が出ている」という風潮だけ喧伝されてしまうと、実際には何も変わっていない従業員の反感を買い、モチベーション低下を引き起こしてしまう。

施策の形骸化

 以上のように、取り組んでみても実態は変わらなかったり、効果がいまひとつにとどまっている施策というのは少なくなかったりする。しかし、実際に施策が「廃止」されることはほとんどないという。施策が「廃止」されないと、思わぬ効果を生んでしまうという。その1つが、新たな施策を打っても「また効果のない対策を打ってきたな」と思ってしまい、最初から期待しない風潮が醸成されてしまうのである。打った施策がどのような効果を生み出しているのか、効果がないとすればなぜなのか、という点に正直に向き合うことなくして、効果のある施策は打てないことを、肝に命じなければならない。

そもそも根拠のある施策を打っているか?

 課題に直面して何かしらの対策を打たなければならない時に、自社で一から施策を立案するには相当なコストがかかる。このため、他社ですでに実績のある施策を「コピペ」で自社に持ってくることは、一見合理的なように見える。だが、そもそもコピー先の抱える課題とペースト先の抱える課題は同じか、その課題を生み出している原因に正しく作用する施策なのか、という点はきちんと把握しなければならない。熱が出ているからと風邪薬を投与しても、実際にはインフルエンザかもしれないのだ。実態を踏まえずにコピペしても、すぐに形骸化してしまっては意味がない。そもそも、残業の実態やそれを引き起きている原因は何かを分析することが先決だろう。

第7講 鍵は、「見える化」と「残業代還元」

 それでは、実際に形骸化しない施策を実行するために、何がポイントになるのだろうか。本書では

  1. 残業時間を「見える化」する
  2. 「コミットメント」を高める
  3. 死の谷」を乗り越える
  4. 効果を「見える化」し、残業代を「還元」する

という4点挙げている。

残業時間を「見える化」する

 まず第1に行うべきは、どこの部署で、どのぐらいの残業時間が発生していて、それは時期によるばらつきがあるのかどうか、一部の人に集中しているかどうか、などを明らかにすることだ。まず施策を打つ前に、現状がどうなっているかを十分把握することが必要である。ここをおろそかにすると、改革が実際に効果を発揮しているかどうかのトレースができず、ブラックボックス化をまねきかねない。

結果にコミットする

 次に行うべきは、「いつまでに、どの程度残業時間を削減するか」を示し、施策を決定することとなる。抱えている課題によって立案される施策は変わるので、どのような施策を打つべきかは本書で書かれていないものの、打った施策に対するコミットメントの度合いが、実際の効果に影響を与えるという分析をもとに、効果を出すためのコミットメントの手段を述べている。それによれば、個人に対するアプローチ(たとえばノー残業デーにきちんと帰るかどうかを働きかける、など)と、組織に対するアプローチ(たとえば部署内の管理職を通じて働きかける、など)という2つの手段を並立させることが肝要となる。
 個人に対するアプローチの1つとして本書が提示するのは、施策を複数のルートを通じて従業員に知らせる「告知のオムニチャンネル化」である。社内イントラに1回投稿して終わり、というやり方ではそもそも見落とす従業員もいる可能性がある。そこで、メール、説明会、社内イントラ、掲示資料など、複数の媒体を使って何度も個人に伝達することで、個人のコミットメントを上昇させることが可能であるとする。
 他方、組織に対するアプローチとしては、それぞれの部署のキーマンたる管理職を味方につけ、部下から「あの人がやっているから自分もやろう」というコミットメントを高めることができるという。特に、これまで長時間の残業を習慣的に行っていた管理職に対し、「会社のための働き方改革なのだ」という意識を浸透させ、「働き方改革を行った結果どのような会社にしていきたいか」というメッセージを合わせて伝えることで、キーマンを中心とした施策の浸透を図ることができるのである。

継続的なトレースと効果の従業員への還元

 著者が行った改革の効果についての分析を見ると、改革に取り組み始めて1か月という段階で「死の谷」という1つの難所が待ち受けているという。「実際に取り組み始めてみたものの、結構大変」「前のやり方のほうがよかった」という反応がピークを迎える段階なのだ。逆に言えば、この1か月を乗り越えてしまえば、「慣れてくると案外いいかも」という好意的な意見も増え、実際に改革が定着していく段階に入っていくことになる。
 この1か月をうまく乗り越えるために、実際に取り組んでみた1か月でどの程度効果が出たのかをアピールしていくこともポイントになる。その際に、改革の効果で出た効果を従業員に還元することもセットで取り組まなければならない。第5講でみたように、基本給だけでは生活が苦しいと答える人が多い中で、単純に残業を減らすだけでは手取りが減るだけで不利益しか生まない。そこで、残業は減るがその分は給与として還元することで、従業員の側に残業を減らすインセンティブを与えることが必要になる。残業時間とは別の基準から給与体系を再構築し、残業するインセンティブを減らしつつ生活に必要な給与はきちんと保証するのである。

第8講 組織の生産性を根本から高める

 とはいえ、あらゆる残業を全体的に解決するための根本的な解決策としては、生産性の高い職場を作ることである。特に本講では「マネジメント」と「組織開発」の2点に絞って議論を進めていく。

どのようにマネジメントしていくか

 本書の中でも何度か触れられてきたように、企業運営のキーマンは管理職である。だが、管理職に求められているのは

  1. コンプライアンスを守り、
  2. 多様な部下を扱い、
  3. 部下に残業をさせず、
  4. 自分も残業をせず、
  5. 組織のパフォーマンスを高め、
  6. 個人としての成果も上げ続ける、

という非常に難易度の高いマネジメントである(p.259)。このような無理難題に近い課題を与えられている管理職を見て、部下は昇進したいと思うだろうか。まずは、管理職を魅力的なポジションに再生することが先決だ。
 管理職の役割として最も重要なのは、前述した中でも5の組織としてのパフォーマンスを最大化することだろう。実際に組織パフォーマンスを最大化するにあたってリソースを投入するべき点として、本書は3つの力を挙げている。それは、

  1. ジャッジ力……不確実な状況でも一貫した軸を持って迅速に状況判断・指示する能力
  2. グリップ力……現場の状況や進捗を把握する能力
  3. チーム・アップ力……オープンで風通し良く、活発にコミュニケーションをする能力

の3つである(p.264)。実務の上では、日頃から部下の業務についてのコミュニケーションをとることで、それぞれのメンバーの業務の進捗状況を把握し、進捗に悩むメンバーがいるときでも的確で明確な指示を出せる、というのが理想的なマネジメントになるのだろう。特に、今やらなくてもいい業務かどうかを判断し、「今日はやらない」という判断を下すことができると、直近の残業削減には効果があるかもしれない。これと同時に、仕事を部下に任せても円滑に回るように後進を育成することができれば、管理職自身は先ほどの3点にリソースを集中することができるだろう。

どのように組織開発していくか

 前項では管理職がどのようにマネージメントするのかという点を論じていたが、組織としての生産性を向上するにあたり、管理職だけが頑張るのも筋が違う。組織として学習してしまった残業体質をアンラーニングするためにポイントとなるのが、

  1. 業務の透明性
  2. コミュニケーションの透明性
  3. 時間の透明性

の3点となる(p.278)。
 上記の3点は、前項で触れた3つの力と密接に関連している。業務の透明性は、誰が何の業務にどのように取り組んでいるかを把握しているかどうかを指すが、これはまさにグリップ力と対応する内容だろう。業務の透明性を高めるためにグリップ力が要求されるし、グリップ力があれば業務の透明性も高まる。
 コミュニケーションの透明性が低いと業務を部下が抱えがちになるが、チーム・アップ力が高い管理職がいれば日常的に悩みが解決でき、無闇に悩む時間も減少するだろう。
 時間の透明性は所定労働時間を意識した業務ができているかを指している。これについてはジャッジ力の高い管理職がいることで、直近やらなければならない仕事の中で、今日できることと明日以降でも問題ないことを切り分けることができるので、「まだ仕事が残っているから」とその日無闇に残業することがなくなるのである。

最終講 働くあなたの人生に「希望」を

 本書の最後に、著者からのメッセージがまとめられている。本書の内容の要約的にまとめておくと、概ね以下のようになろうか。

  1. 「成果」は「投入したリソースによって得られる成果」から「時間当たりの成果」へ転換しよう
  2. 「成長」は「経験するためにつぎ込んだリソースの量」から「経験したことを振り返って自分の血肉にした量」へ転換しよう
  3. 「会社」は「ムラ的な共同体」から「同じ目的の達成に向けて集まるチーム」へ転換しよう
  4. 「ライフ」は「人生における仕事以外の部分」から「仕事も含めた自分の人生」へ転換しよう

 ということで、自分の経験は定期的に内省して努力するべき方向を考える必要があるので、その時間を確保するために個人でも組織でも仕事のパフォーマンスを上げて所定労働時間で仕事を終わらせられる環境を整備していくと同時に、会社のあり方についても一つ屋根の下で過ごした時間ではなく、同じ目的に向かって進むチームであることを再確認しましょう。その上で、仕事とプライベートの両方を充実させられるよう、ワークとライフのバランスが取れるところを探していきましょう、という感じにまとめてみました。以上。



余談

 せっかく読んだ本なのでまとめるか、と思って書き始めたらどんどん長くなり、13,000字を超えてしまった。さすがに長すぎ。章立てをそのままにまとめるのではなく、もう少し全体を要約しつつ、私見も取り入れながら短くまとめられるようにしたい。読んだ内容を自分の頭で要約できるようになりたい。

*1:ついでに言うと、こういう働き方にストレスがかかった結果、筆者は一度体調を崩し、3か月ほど休職している。

*2:弊部署に関して言えば、全員が慢性的に残業せざるを得ない状況に置かれているので、単純に人的資源が不足していると考えている。経理部門などのように、季節によって繁閑があるような部署では、繁忙期に対応するために人を増やすと閑散期に手が余ってしまうだろうから、単純に人を増やせばどの部署も解決、というわけではないのが難しいと思う。

*3:三六協定とは、労使間での合意があれば労働基準法の規定にかかわらず、労働時間の延長/休日労働などをさせることができるとする条項の俗称である。労働基準法第36条で定められていることから、一般に三六協定と呼ばれることが多い。

*4:個人的には、三六協定の存在はあくまでも制度的要因であって、実際にはそのような上限規制を青天井の状態で締結することに合意してしまう労働組合にも問題があると思う。仮に三六協定で上限が月10時間などと合意することができていれば、このような過重残業は激減するのではないだろうか。

*5:本書を読んで得られたありがたい知見として、弊部署は明らかに働きすぎだということが分かったことが挙げられる。今まで「どこもそれなりに働かされているのでは」と思っていたのだが、弊部署の働き方を相対的に見ることができて、今後の身の振り方を考える材料になった。

*6:筆者も、かつては営業手当が支給されているから、ということで労働時間管理が行われておらず、支給額から逆算して月に20〜40時間ぐらいサービス残業をしていたことがある。次第に「そういうものか」と感覚が麻痺してしまうのが恐ろしいところ。

*7:本書では、もう少し学術的に、チクセントミハイの提唱した「フロー(flow)」概念を用いて説明している。

*8:第1講で説明されていたように、日本の雇用契約においては職務記述書が取り交わされておらず、個々人が担当するべき業務の範囲が不明確であるからこそ、上司が新たな仕事を振ることができる構造となっている。

*9:6段階尺度のうち、「かなり近い」「近い」「どちらかというと近い」の合計値となっている(p.183)。

*10:厳密には、労働時間や休憩時間について規定が適用されなくなるのは管理職ではなく労働基準法上の「管理監督者」に限られるので、経営方針策定への関与ができなかったり、残業代が出なくなったことで給与が減ったり、遅刻で減給されたりするような場合には残業代は支払われるべきであるはずだ。