サウナと野球と時々カメラ

意識の低い政治学徒だった人の日記。週末サウナー。

塩出浩之(2015)『越境者の政治史:アジア太平洋における日本人の移民と植民』名古屋大学出版会

 ゴールデンウィークはどこにも行けないので、家でひたすら積ん読を消化していくことにした。せっかくなので腰を据えてないと進まないような、ゴリゴリの研究書を読もうと思ったので、ずっと積んであった本書を読むことにした次第。

 2016年のサントリー学芸賞受賞作ということで、読もう読もうと思ってはいたものの、政治史で500ページ級の大部な著作はほとんど読んだ記憶がなくて躊躇していたのだけど、結論としては読んで大正解だった。学生時代から主に読んでいた国内政治(中央政治・地方政治ともに)の研究からは得られない、権力の持つ暴力性だとか、民族間の支配従属関係やそれに紐づくナショナリズムの勃興を見せつけられることとなった。出版社のリンクとサントリー学芸賞の書評ページは以下の通り。

越境者の政治史 « 名古屋大学出版会
塩出 浩之『越境者の政治史 ―― アジア太平洋における日本人の移民と植民』 受賞者一覧・選評 サントリー学芸賞 サントリー文化財団

本書の概要

 本書は近代において日本から各地に渡って行った移民や植民が、現地社会にどのような政治的影響を与えてきたかを「民族」に注目して描き出す試みとなる。本書の特徴は「民族」への注目である。

 「国民国家」を中心に据えて描かれることが多かった従来の政治史研究に対し、本書が新規性を持つのは「近代を通じて、国民国家が規範的単位を超える実在となったことは実際にはな」く、「支配領域をたびたび変えてきた主権国家と、空間的境界を持たずに移動し変容する不定形な民族集団とであった」と見る点である(p.422-3)。本書で描かれていくのは、民族と国家は必ずしも単一民族による国民国家としては統合されておらず、国際環境の中で主権国家が国境線を画定しても民族は必ずしもその範囲に包摂されず各地に点在しており、各地で民族間の利害を反映しながら権利獲得が目指されてきた様子である。

 具体的には、日本人が支配的な地位を有していて人口的にも多数を占めていた南樺太への植民活動、属領統治のもと支配的な地位を得てはいたが人口的にはマイノリティとなった朝鮮や台湾における植民活動、白人支配の中で中国人に代わる安価な労働力として植民して人口的なマジョリティを確保したハワイにおける植民活動、さらに関東軍支配のもとで日本の影響下にありながら独立国としての体裁を取らざるを得なかった満洲国における植民活動を記述していく。いずれの地域においても、「日本人」の中の大和人と沖縄人の意識的な優劣関係、「東洋人」の中の日本人・朝鮮人・中国人の利害対立*1を前提としながら、支配層として植民した日本人は本国と同等の権利を得るために政治参加を進め、労働力として植民した日本人は現地人と同等の権利を得るための取り組みを目指すことになり、その中で民族間の連携や分断が発生するのである。

 他方、日中・日米間で開戦を迎えると、それまでに形成されてきた民族間の政治秩序が大きく変動してしまう。開戦を経て日本を敵性国家とみなすようになった国においては、強制的な立ち退きや収容所における監視下の生活を強いられるようになってしまう。その中で、日系住民は植民先の国家から忠誠を試されることとなる。従軍することで忠誠を誓えば市民権も剥奪されない一方、忠誠を拒否すれば敵性外国人として日本への強制送還となってしまうのであった。忠誠登録自体を忌避し日本に送還された人もいれば、忠誠を受け入れて日本からの離脱と現地社会への統合を目指した人もいた。

 その後終戦を迎え、各地に点在する日本人は強制送還の憂き目にあうこととなる。この時、それまでは同じ「日本人」として日本国籍を有していた大和人・沖縄人・朝鮮人・台湾人のうち、後3者は連合国軍によって「非日本人」と定義され、沖縄人は「琉球人」として取り扱われるようになった。日本国籍を有していながら、大和人は日本の国境内部に送還され、沖縄人は米軍占領下の琉球地域に送還された。他方、朝鮮人と台湾人は送還対象から外されたほか、サンフランシスコ講和条約の発効をもって日本国籍も剥奪されたのである。大和人以外は、在住地と国籍が異なる状況を強いられることとなってしまったのである。

感想

 学生時代から読み慣れてきたポリティカルサイエンスとは大きく異なる政治史の研究書だったので、ゴールデンウィークで他に取り立ててやることがなかったにもかかわらず読み進めるのに4〜5日を要してしまった。その代わり、今まで読んできた研究ではなかなか感じることのなかった、国家の持つ権力が個々の国民に与える影響の大きさや暴力性、民族としてのアイデンティティを維持するために用いられる自国語での教育をめぐる攻防、権利獲得のための理論武装の中に垣間見える他民族を劣位に置こうとする感覚*2など、政治が持つグロテスクな面を見せつけられてしまった。

 個人的には、本書を読んで「権力」が政治学の中心的なテーマである理由がはっきり見えたように思う。すでに触れたように、国家間の意思決定として国境線が画定された結果、領域外にいる国民は(ほぼ)意思にかかわらず権力を用いて強制送還させられてしまった。植民先と開戦してしまったときに忠誠と従軍を迫ることができるのも、強制送還できる権力があってのこと。こんなにあからさまな権力の暴力性というのは現代日本政治の研究を読んでいてもあまり感じることがない(と思っている)ので、やはり政治学をやる上でも自身の専門に限らず一通り勉強しておく必要があるのだということを痛感した。

 普段読み慣れない概念が多かったり、単純に集中力が持たなくてきちんと読めていない部分も多いはずなので、近代アジア史や植民地について勉強しなおした後に再読するとまた違った理解ができるかもしれない。

*1:特に民族間の関係構築においては、人口的なマジョリティを確保できているかどうかが大きな影響を持った。

*2:たとえば、南樺太における地方議員の選挙において、導入の背景に住民の大半が大和人であって本国と同一の権利が与えられるべきと主張していながら、先住民には参政権が与えられなかった点など。もっとも印象に残っているのは第7章の二の(2)で描かれているような、大和人と沖縄人と朝鮮人の意識である。大和人と沖縄人と朝鮮人はともに日本国籍保有者でありながら、大和人は沖縄人を被支配者として劣位に置こうとしており、他方で沖縄人も日本の支配下に入って間もない朝鮮人に対して優位に立とうとする発言が出ていた。