サウナと野球と時々カメラ

意識の低い政治学徒だった人の日記。週末サウナー。

服部泰宏(2023)『組織行動論の考え方・使い方:良質のエビデンスを手にするために 第2版』有斐閣

 忙しさにかまけて読書の習慣がなくなっていたのですが、ふと書店に立ち寄った際に、人事労務経営学の棚を覗いてみたところ、初版の時から気になっていた本書に第2版が出ていることを発見したので、買ってみることにしました。興味が失われないうちにと読み始めたところ、学部〜修士政治学をやっていたときに感じていた学問のレリバンスに関する議論に惹きつけられた上に、最近失われていた仕事に対するモチベーションがなぜ減退しているのかを客観的に理解するきっかけともなったので、色々な意味で面白い書籍でした。

組織行動論の研究書として:問題意識の面白さ

 本書で展開される議論の前提として著者が持つ問題意識は、「組織行動論の領域に絞って、科学が実践に役立つとはどういうことか」を考えることとされています(p.ⅱ)。私の学問的バックグラウンドは同じ社会科学の一部である政治学という領域で、こちらでも同様の問題意識を持った研究者がいらっしゃる印象なのですが、本書を後半まで読み進めていく中で政治学と大きく異なると感じた点があります。それは、第17章で展開される議論です。特に印象的だった一節が以下です。

 筆者には、EBMgt(引用者注:Evidence Based Management)の議論が、ともすれば「実践家の間違った常識を科学的なエビデンスによってただす」というトーンになってしまっていることが残念でならない(Rynes et al., 2007)。重要なのは、どの「世界」が最も優れているか、あるいは正しいかではなく、自分たちが生きている世界について「知っている」ということに謙虚であり続けることである。研究者にも同じことが言える。本書では、「科学的な知がしろうと理論を相対化し、鍛え上げる」ことを議論してきたが、その反対、つまり現場の実践家が抱くしろうと理論によって科学的な知が触発され、鍛えられるという側面もあるだろう。(p.325)

 本文中でも出てくるのですが、本書のキーワードの一つに「しろうと理論」というものがあります。しろうと理論とは「経験知」と言い換えられるのではないかと思いますが、これが研究者が追い求める科学的な知の創出にも貢献しうるのではないか、と主張が本書の面白いところだと感じました。

 政治学の文脈で、「学問が実践に役立つ」という話になると、「研究で得られた知見を活用した政策選択(Evidence based policy making)が大切だ」という規範的な話が出てくることがあります。第一線の研究者が研究の知見を一般読者にもわかりやすく伝えるために書かれた書籍もあり*1、これはこれで非常に大切な取り組みだと思うのですが、本書を読む中で刺さったのは、上記引用の中にもあるように「実践家の間違った常識を科学的なエビデンスによってただす」というトーンになっているのではないか、という部分でした。政治学に取り組んでいたときは、「行政組織の中にポリサイ(political science)の知見が広まれば、よりよい意思決定や政策選択がなされるのでは」なんて無邪気に思っていたこともありましたが、これは裏を返せば「正しい(と自分が思っている)意思決定や政策選択が行われないのは、政治学の知見がきちんと知られていないため(だから勉強するべきだ)」的な上から目線の発想に他ならず、こういうところに大学が象牙の塔なんて言われる所以なのでは…と思ったりしました。

 ともかくも、本書全体を通じて提起される「研究者が科学的なアプローチで生み出した知が実践で使われる」という一方的な貢献だけでなく、「実践側が持つしろうと理論を研究者が知ることで、新たな知が生み出されるのではないか」という主張が、とても新鮮に感じた次第でした。

組織行動論のテキストとして:自己理解の深度化

 ここからは極々私的な話になるのですが、今の部署に異動して以来、仕事そのものに対するやり甲斐はとても大きいものの、上司との期待値が合わずモティベーションが損なわれてしまうことが多々ありました。今までも何冊か組織行動論に関する書籍は読んできたつもりではいたのですが、本書の第2部を読んでいて、何が自身のモチベーションを損ねる要因になっているのか、ストンと腹落ちしたような感じがあったので、文章として残しておこうと思います。

 本書の中で、特にモチベーションに関する解説は第9章で行われています。ここによると、仕事に対するモチベーションは主に①着手段階、②中途段階、③結果・完了段階の3段階に分けて説明されています。これまで私が働いている中でモチベーションが失われたと感じる機会が多かったのは、主に③結果・完了の段階でした。特に③の段階では、「タスク遂行の結果としてもたらされた成果に応じて、報酬などの形で何らかの処遇が行われることで、次のタスクに向けた仕事モティベーションが形成される」(p.171)とされています。私の実感としては、社内でも上位数%の超勤を行わないと回らない業務分担を割り当てられているのに、上司としては前任者もこの業務分担で回していたのだからそれぐらいやって当然という認識だったので、筆者としてはプライベートを削りながら必死に成果を出しているのに、平均レベルの処遇しか得られないのか…と感じてしまい、仕事に対するモティベーションが損なわれていたわけです。「これぐらいやって当たり前」と考える上司と、「前者で上位数%もの超勤で回しているんだから、その分の成果は認めてほしい」と考える私の認識が相違しているわけです*2。ここで再び本書に戻ると、これは第11章で出てくる「心理的契約(psychological contracts)」で説明できるのではないか、と思い至りました。

 心理的契約とは、デニス・ルソーが提起した概念で、具体的には「組織と従業員の間に具体的な相互期待に関する合意が成立しているという、従業員の知覚」だとされます(p.213)。前任者から業務を引き継ぐにあたり、「残業が多いから覚悟しておいた方がいい」と言われていた私は、「前任者から引き継いだ膨大な残業を前提とした業務量をこなしているのだから、アウトプットの量もそれ相応にあるわけで、然るべき評価がされるべきだろう」という個人的な信念を持っていたのに対して、上司からの評価は平均的なレベルにとどまっており、相互に持っていた期待値がずれていたことで、私としては心理的契約が反故にされたと感じたことで、モティベーションの低下をもたらしたと言えそうに思いました。もともと、現所属では上司から「どのようなことを期待しているか」というのが明確にされないままタスクが割り振られることが多く、私と上司の間の相互期待がズレやすいというのも原因としてあるのでしょうが、心理的契約の不履行が職務満足や組織コミットメント、離職意思の上昇につながるというのは、個人の実感としても非常に納得感がある議論でした。

おわりに

 上記のようなモチベーションの低下はありつつも、人事の仕事というのはさまざまな研究成果を実務に織り込むことができるという意味で、これまで経験してきた営業や経営企画よりも私の性に合っている仕事ではないかとよく思います。学生時代から新しいことを勉強したりデータを分析するのは好きだったので、経営学の知見を摂取したりピープルアナリティクス的なところとも相性が良いので、もう少し人事の面白さに浸るべく、組織行動論ひいては経営学をちゃんと勉強していこうと思いました。

*1:砂原庸介(2015)『民主主義の条件』東洋経済新報社とか待鳥聡史(2015)『代議制民主主義―「民意」と「政治家」を問い直す―』中公新書などは個人的にオススメです。

*2:前任者も私も年間5-600時間ぐらい超勤してようやく回している業務量なので、どちらかの能力が低くて回しきれないということはないと考えています。